東京 お寺めぐり 明福寺 寺院外活動 

さんじかい四回目

平成二一年十一月某日( )

時間 午後三時より

場所 真宗大谷派 明福寺

真宗大谷派式の勤行

前半

講談社学術文庫 仏教聖典 友松円諦を輪読 輪読


後半

全日本仏教会

機関紙全仏記載の各仏教団体の今後の仏教界の在り方を輪読

そしてこれについて意見を述べるのではなく、私がどう在るべきかを話し合いました。

《第三十回》日本仏教鑽仰会

今後の仏教界の在り方について、指針をお聞かせ下さい。

僧侶には、自分の信じている教えを大衆に伝える「布教」という、非常に大切な役割があります。この「布教」の方法とは、実際の世相・状況に即して説法等の布教を行う「現実主義」、あくまでも理想を追求する「理想主義」があると考えています。これからの二十一世紀を考えていくと、僧侶は「現実主義」に力を入れていかなくてはならないのではないかと思います。理想を説くのも確かに非常に重要ではあります。しかし、情報化社会の現代において、自分にできる範囲を超えた説法を行っては、「口だけの僧侶」と言われてしまうのではないでしょうか。自分にできる範囲の活動及び説法をきちんと行ってゆく事が、重要になってくると思います。仏教には、戒律という道徳に近いものも説かれています。一例をあげると『七仏通誡偈』(『諸悪莫作衆善奉行自浄其意是諸仏教』―すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、これが諸の仏の教えであるー)等です。しかし、こうした道徳でさえ、百パーセント守れるかというとなかなか難しいのが現実です。自分の心も完全に「無」とは言えない。その自分の立場を見つめつつ、布教を行って行く事が重要ではないでしょうか。

《第二十九回》社団法人日本仏教保育協会

今後の仏教界の在り方について、指針をお聞かせ下さい。

各宗派各仏教団体が、相互理解をより進めて、連携を深めていくことが一層重要になってくると思います。そのためには、情報発信を今以上に強化する必要があるでしょう。新聞・雑誌・ネット等、様々なメディアに対してアピールの場を設けるように努力していくべきです。例えば本協会が『全仏』誌に記事を掲載し、各加盟団体、関連団体に積極的に広報活動を行っていくことが、仏教界全体の連携強化に繋がっていくのではないでしょうか。そうした活動を通じて、仏教界内の相互理解や共通認識を深めていくことが、他宗教との交流や相互理解の強化の第一歩になり、より活動の幅が広がっていくのではないでしょうか。

《第二十八回》福島県仏教会

―今後の仏教会のあり方について、指針をお聞かせ下さい。

仏教界には古来から、金銭のことを表立って論ずることは、タブー視されてきたように思います。各宗門の関係する仏教系大学の僧侶を養成する学部においても寺院の基盤となる、寺院経済学のような専門的なカリキュラムはほとんど見られません。こうした経済に関する知識の不足や欠如が様々な問題を引き起こしています。「焚くだけは風がもて来る落ち葉かな」という思想も結構なのですが、教化と一体をなす経済について、教団としてもっと真剣に対応しないと地方の寺院崩壊は更に深刻化すると思います。地方経済は予想以上に疲弊していますが、それは構造上の問題も抱えており、回復をより困難にしています。

そうした中で、いま寺院の社会性、公益性を高めるために、様々な試みがなされています。イベント、ホスピス、カウンセリング等業界紙やマスコミに報道されていますが、これも限られた方の能力技量によるもので、寺院に一般化できるものではありません。職業が専門化、細分化する中で僧侶の情熱と付け焼き刃的な学習では対応することは難しいと思い

ます。新時代における寺院の新しいメニューとして取り上げるならば個人任せにしないで、仏教系大学各宗派において人材育成の制度をより積極的に開設し、財政支援を計る必要があります。地方のご住職が保護司、民生委員、教誨師、調停委員等の公職に数多く従事し活躍されておりますことはまことにありがたいことだと思いますが、若いうちにこうし

た専門的な教育を施し、人材の育成が実現できれば、将来における新しい寺院力として期待できるのではないでしょうか。一方、現代の寺院経済の基盤を支えているのは葬儀でありますが、その葬儀が今揺らぎ始めています。伝承文化崩壊の始まり、遺族側の経済的事情によるもの等さまざまな理由が指摘されていますが、その原因の一端は我々僧侶にもあったのではないでしょうか。昨今の「葬式坊主」などという蔑称は僧侶を軽視する風潮から出てきたものでしょう。若 い僧侶の中にも、葬式だけやっているようでは駄目だと思い込んでいる方も多くいらっしゃるようですが、葬儀は故人にとっては人生最後の締め

くくりであり、遺族にとってもかけがえのない儀式であることは論を持たないところです。

その式の中にあって、生き死にに対する意味や重みにそれぞれが思いを致し、遺族や参列者にどれだけ深い感銘を与えることができたかが問われています。布施の額だけが論じられ、問題視されているようでは情けないと思うのです。特に若い世代の僧侶の方々は葬

儀バブルの時代とはまったく違った少子・高齢・過疎といった厳しい時代にあっても動じない確かな信念を築いていただきたいと思います。仏教界は今まで述べてきた事柄などに対し的確な指針と方策を示していくべきだと痛感しています。

《第二十七回》新義真言宗

―今後の仏教界の在り方について、指針をお聞かせ下さい。

特に顕著に感じますのは、葬儀等に伺った際に、肉親の方が亡くなったのに嘆き悲しんでいる、という風に感じる事が少なくなってしまいました。故人の為に供養をしているというより、お墓の問題や、お骨をどうにかしなくてはいけないなど、面倒だがやっておかなくてはいけない。葬儀法要が煩わしいもの、という位置づけにされてしまっているのではないかと危機感をもっております。また、故人の遺言で「遺族に迷惑をかけたくないので永代供養にしてほしい」というお話や、「息子がそういう事に一切関心が無いから無縁仏に入れてほしい」という要望も増えております。いつごろから、故人の供養をすること

が、「ご遺族にとって負担で迷惑なもの」という位置づけにされてしまったのか。

メディアが仏教界にあまり目を向けてこなかった事、人々が経済優先の考え方に走りすぎてしまった事、即物的・唯物的になってしまい情緒的な発想が段々できなくなってしまった事など、原因は色々考えられます。仏教界挙げてそうした世間の風潮に対し、積極的にアピールをしてゆかねばならないのではないかと考えております。
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