時間 午後三時より
場所 真宗大谷派 明称寺
前半輪読箇所
第二鹿野苑篇 第八章耶舎の出家
第三六節 苦しきかな〜第四五節 梵天いずこかにある世尊(せそん)は彼に告げたまえり。「ヤサよ、これは苦しきことなく、危(あやう)きことなし。ヤサ、来りて坐(ざ)せよ、われは汝のために法を説かん」
ときに彼は「これは苦しきことなく、危うきことなしという」とて歓喜誦躍(よろこびこおどり)し、黄金の履(くつ)を脱ぎて世尊のみもとに近づき、世尊を礼してかたえに坐したり。
お釈迦様も王位を捨て、財を捨て出家なさいました。そしてお釈迦様の弟子となるヤサも黄金の履(くつ)を脱いで、お釈迦様に教えを請います。人生の目的とも思っているお金、そして地位とは、真の拠所となるのでしょうか。
第四〇節 自己をたずねよ 抜粋
「大師、ひとりの遊女(あそびめ)は物をたずさえて遁(に)げ失せたり。よりてわれらは友のために力をつくしかの婦女(おんな)を捜しつつ、この林を徘徊(さまよ)えるなり」
「若き者ら、汝らこれをいかにおもうや、汝らが婦女(おんな)をたずぬると自己(おのれ)をたずぬると、汝らにとりていずれか勝れたりとなすや」
「大師、われらが自己をたずぬること、これぞわれらにとりて勝れたりとなすなり」
若者の集団は、遊び呆けている最中に一人の遊女に荷物を盗まれてしまいます。
私の物と、私どちらが大切か、言うまでもなく、私の方が大切のはずなのに、普段我々はどう生きているのか、ほしいもの、手に入れたもの、失ったものに絶えず私は翻弄されています。後半
初題儀式執行と参加者の気持ち
戒名、法名について
儀式を執行する側は、受式者のことを想像しているのだろうか