傾聴法について、教えていただいた時、まったく自分は相手の話を聴いていなかったことに気付かされました。相手の話を聴いて、自分と考え方近ければ、「それはそうだね」と肯定し、離れていれば、「それは違うよ」と否定する。そういう聴き方をしていましたし、疑問を感じたことさえありませんでした。自分が話す時には、「それは違うよ」などといわれると、とてつもない不満を感じているのに関わらずです。
そして傾聴法という聴き方を教えていただいてからは、これからは相手の言葉を評価せずに感情に同意して聴こうなどと、悩みの相談があれば実践していたつもりでしたが、やはり勘違いしていたようで、相手を良い気持ちにさせようと一種目的をもって聴いていました。
そこで先の青年研修会で、何かのために聴くじゃなくて、聴くというのは、ただ相手に教えてもらうのです。という言葉を聴いて、聴き方を道具にしようとしていた自分にまた気付かされました。
そして、無意識に人と話している時は、四角の表でいう、「私はOKですが、周りはダメです」の立場で絶えず生きており、一番相手を傷つける「だからあなたはダメなんだよ」という存在を根底から否定する言葉をよく投げつけていることに気付かされました。
一つ気にかかるのは、常識的に見て、いいと思われない決断をした場合にも否定しない、意見しないということでしたが、それが、極めて反社会的な決断をした場合に何も言わないのかという疑問が残りました。