また、講義にあたって聖書を購入せよと指示が出され近くの書店に買いにいきましたら、大きな書店でないのに関わらず、聖書が何種類か売っていました。そして仏教に関する書籍はそこの書店には殆どありませんでした。真宗聖典は当然ありません。
講義の中で、日本においてキリスト教徒は1%と紹介され、仏教徒はどれほどいるのだろうかとウィキペディアで調べてみますとだいたい70%くらいでした。それなのに小さな書店に聖書があるのに仏教に関する本が置かれていない現状。たまたま、この本屋がそうだったのかも知れませんが、仏教徒とは一体何をさして仏教徒というのか危機感を覚えました。
実際に講義の中で印象に残った箇所をあげますと、聖典で引用された
創世記(旧2)1−26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
人間と他の生命とを明確に分けている点に意外な印象を受けました。
次に
創世記(旧3)2−17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
と
真宗聖典640 聖人のおおせには、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。
の箇所の類似に、宗教の根源的な問題が眠っているような気がしました。
本来人間には、善悪の判断は出来るはずがないのに、日常的に善悪の判断をしていて、そのことさえ気付いていない、それが苦しみの出発点であり、罪といったり悪といったりするのでしょうか。
そしてその罪は人間にしかなく、その他のいのちは、意志に背いていない、だから人間を対象に書かれているという説明に納得しました。